2007年3月 9日 (金)

オドリグイ

今日、父上がイサザ(要は白魚)を買ってきて、こうのたまう。

「踊り食いしようぜ!」

・・・まぁ、食べられなくはないけど、なんとなく「生きたまま食す」という行為に罪悪感。

それが偽善なのはわかってるんだけど、例えば、調理をした時点で絶命しているのであれば、こんな風には感じないんだろうと思う。

包丁やナイフ、銃を使って殺すのとはまた違う、自分の歯という器官を用いて殺すことへの嫌悪(手とか足とかでなく、歯によって生物を殺すこと自体、あまり慣れていないせいだろう)が、踊り食いへの罪悪感を煽ってるんだろーな。

そこで考えるわけですよ。

踊り食いなんていう食べ方をされるイサザに「いかに苦痛を与えずに昇天させるか」ってことを。

踊り食いには、汁につけて食べるのと、汁ごと飲み干すという2種類の食べ方があって、そこですごく悩むわけですな。

汁につけて食べる方法は、一番美味しいとされているけど、食われるイサザにしてみたらたまったもんじゃない。

噛まれて一撃で絶命できればそれでいいけど、中途半端に噛まれたまま胃に送られるのは・・・ねぇ。

かといって、汁ごと飲み干す方法は、自分の歯でイサザを殺すという感覚はないけども、イサザにしてみりゃ、生きたまま胃に送られて、ゆっくり胃液で溶かされることになる。

どっちに転んでも、苦痛からは逃れることができないのだ。

ごめん、ごめんよイサザ。

それなりに迷った挙句、汁ごと飲み干す方法を選択。

理由は、胃液にまみれた時点で昇天していて欲しいという儚い願いから(苦笑

そうして、イサザを食べる前には、「いただきます

食べた後にはごちそう様でした」

と、しっかり感謝の意を示す(別にイサザに限ったことじゃないけど、なんとなく)。

 

結局は自分の偽善を誤魔化すためだけに色々と悩んだわけだけど、飽食の時代とか言われて久しいから、たまにはこうして「人間は他の生物・植物の命を奪って生きてる」ってことを再確認するのもいいんじゃないかと思った次第なのです。

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