劇場版クラナド
昨日の朝っぱらから観てきたわけだけど。
原作とは完ッ全に別モノ。
これから観に行こうと思ってらっしゃる方は、その点に充分留意してくださいね。
原作が大好き!って方は観ないほうがいいと思います。
かなりショックを受けるとともに、どうしようもない憤りを禁じえないのではないかと。
実際、私はそうでした。
あ、でもこの映画を見ることによって、「京アニのTV版はより期待できる!」とか「あまりにも不快だから、もう一回原作をやり直そう!」とかは思うかもしれませんね。
以下はネタバレ含む愚痴・・・。
かなり自分勝手な内容なので、閲覧する場合は注意してください。
もうさぁ、劇場版の予告からして嫌な予感はしたんだよね。
「劇場版CLANNAD」って出る画面・・・なんでバックが真っ暗なの?
文字は白だし。
どう考えても暗い話っぽいじゃん。
まぁ実際はどうしようもないくらいヒドい内容だったけど。
一番許せないのは、渚が死んだままだってこと。
以前の日記にも書いたけど、それじゃあクラナドの物語は完結しないし、そもそも「家族」っていうテーマから外れたままになっちゃうじゃん。
渚が死に瀕した時、智也が今まで集めた「奇跡の欠片」(ここら辺は自分解釈だけど、智也と渚に関わった人達の、「家族」というものに関しての想いがカタチになったものが、あの白い光)が、町全体に溢れ返る。
それは、町に住む全ての人が「家族」だから。
だからこそ、その町の想いが、「家族」である「渚」を助けたんじゃないか(本当はもっと色々あるけど、めんどくさいので割愛)。
なのに・・・
パンフによれば、監督や脚本家は一応原作はやったとか言ってるけど・・・
嘘だろ間違いなく。
やったとしても、せいぜい渚シナリオだけだろ。
アフターはまず間違いなくプレイしてないし、他のキャラのシナリオも同じだろうな。
あとは話を聞いたくらいじゃない?
そうでなけりゃ、渚を死んだままにしておいて物語が終わるとは考えないでしょ。
そりゃ、105分の尺にあの長い話を盛り込むのは無理だよ?
必然的に、渚のメインストーリーになることは間違いないし、アフターでも色々と削らなくちゃいけない部分もあったでしょうよ。
けどさ、削っていい部分と悪い部分、設定的に変更すべき点とそうでない点の区別はちゃんとつけて欲しかった。
あれじゃあ、監督と脚本家が、「自分達の作りやすいように勝手に設定を変えた」としか思えない。
ファンのことなんて考えてない、完璧に自己満足のためだけの映画じゃないか。
例えば・・・
なんで公子さんがまだ学校にいる?
しかも合気道の達人?
演劇部の顧問??
英語の教師???
わけわかんねぇ。
なんで幸村のジイさんが町のぬいぐるみ屋の店主なんてやってる?
あんたの役割は、演劇部の顧問として、渚や朋也、春原たちを導くことだ。
ぬいぐるみ屋じゃない。
なんで秋生だけでなく早苗さんまで、過去の職業が「舞台俳優」になってる?
早苗さんは元・中学教師だ。
しかも、二人とも渚が生まれてからこの町に「引っ越してきた」という。
はぁ?何言ってんの?
二人とも、ずっとこの町に住んでるよ。
高校も朋也達と同じだ。
だからこそ、朋也に色々なアドバイスが出来るんじゃないか。
智代はまだわかるとして、杏の存在意義って何?
ただ智代と組ませるためだけに出したの?
ことみに至っては声すらねぇし。
中途半端すぎるだろ。
他にも挙げたらキリがないくらい。
また、パンフには「この地味なストーリーをどうするかが難題だった」とか「家族と死というものについて考えて欲しい」とか書いてある。
町一つを包む「家族」の物語のどこが「地味」なのか。
愛する人が「死ぬ」のは確かに悲しいことだけど、それを考えさせるのであれば、別にクラナドでなくていい。
それこそ、韓流映画とかでいいハズだ。
本当、よくこんな脚本をKEYのスタッフはOK出したなって思う。
もしこれを作品として世に出すのであれば、少なくとも「CLANNAD」という題名はつけちゃいけない。
KEYのCLANNADとは一切関係ない、全くのオリジナル作品として出すべきだ。
もう金輪際、東映とか出崎には、KEYの作品に関わって欲しくない。
智也と渚と汐が揃ってないのに、EDで「小さな手のひら」を入れ、あまつさえ途中で切るという大それたことするなんて、もうケンカ売ってるとしか。
原作大好きだからこそ、許せない部分が多すぎた・・・。
| 固定リンク


コメント
通りがかりの者です。
前作、劇場版AIRの時はプレイすらしていなかったそうですよ。
しかも映画制作中の日記に、早く○○(次に製作予定の映画)をやりたいというようなことを書いていたそうです。
また、その時の公開日に、Keyスタッフの舞台挨拶が
あったようですが、みんな沈んだような顔だったとか。
自分は前回ので出崎作品を見ないことを誓ったので、
これからは強く生きる、じゃない、これからは
原作主義で行こうと決めました。
多分、力関係において、向こうの方が上なのかもしれませんね。
投稿: okatu | 2007年10月13日 (土) 11時52分
これはコメントありがとうございます、okatuさん!
やっぱりAIRん時も原作やってなかったんですね・・・。
某掲示板でそんな話を見かけた時はまさか、とも思ってましたが。
しかも製作途中に次のやりたいだとか、もうどんだけですか。
パンフの中に、「Keyスタッフが『出崎監督のCLANNADが見てみたい』と言っていた」とか書いてありましたが、今考えるとそれもリップサービス的なものだったんでしょうね。
数々の作品を生み出してきた出崎には、やっぱり敵わないんでしょうね。
お互いの認知度が段違いですから・・・。
悲しいことです。
投稿: あまつ | 2007年10月13日 (土) 23時16分
はじめまして。
発売日に買ったリトルバスターズを先週やり終えた勢いで、EXも買ってきてつい先ほど沙耶をクリアしたところで、あれこれ他の方の感想などを見ようとサイトをめぐっていたところで、こちらの話題を見かけたので一言二言をばと。
制作中に次がやりたいなどの発言の真偽は知りませんが、私は出崎2作品もありだと思う派です。
物語にもならないような「原作の切り張り」を、しかも、あの短い尺でやられるのが一番の懸念だった中で、ばっさりと別作品にまで作り変えた勇気に共感です。
まあ、作品自体は「あれ? 昭和にタイムスリップしちゃった?」というくらい古臭いものになっていましたが。21世紀に80年代臭のする新作を作り上げたのはある意味で脅威的ですね。
あれくらいの勇気と図々しさがKeyのスタッフにもあれば、EXで沙耶が「イレギュラー」「外伝」扱いで終わることもなく、「新レギュラー」になっていたかも。
沙耶が真正面からリトルバスターズと絡むと変更される部分が多すぎる訳で、きっと別な作品になっていたでしょう。
投稿: さざなみ | 2009年4月 5日 (日) 04時59分
さざなみさん、コメントどうもです!やっぱりさみしげなんですか?(笑
さて。
私としては、劇場版AIRは上手くまとめたなー、と思うんですよ。
原作が「家族愛」をテーマにしたのなら、劇場版は「観鈴と往人の恋愛」をテーマにしていたのだと思います。
だからこそ、あの尺でもキッチリ完結していたように思いますし、過程はどうあれ結末はブレてなかった。
別作品というよりは、別の視点から見たAIRって感じで。
ただ、CLANNADに関しては何もかもが中途半端なままで終わってしまっていたように感じました。
もちろん、原作の切り貼りで映画を構成して欲しいというワケではないのですが、もう少しやりようがあっただろーよ、と(二部構成にするとか)。
やっぱり、みんなが揃ってやっとCLANNADという話が完結するんだと思いたいんです。
さざなみさんの言う「別作品に作り変えた勇気」は、私もそうかもしれないと思いました。
けれど、CLANNADの本質を理解した上での勇気なら評価できるのですが、本質を捉え損ねたまま作ったのであれば、それは勇気ではなくただの自己満足だと思います・・・。
まぁ、こればっかりは監督本人に聞かないとわからないですねw
ついでに、あの昭和のボケが本当に面白いと思っているのかも聞いてみたいwww
それと、沙耶なんですが。
私も、沙耶がリトルバスターズの面々とあまり絡まないのは残念でなりませんでした。
せっかく香ばしいキャラなんだから、もっと色んなキャラと絡んで他のキャラ達も盛り上げて欲しかったですねぇ。
まぁ、沙耶の設定がリトルバスターズの面々との絡み合いを難しくさせてしまってたんでしょうね。
そういえば、沙耶ってどことなくONEの七瀬にキャラが似ていて、ふと懐かしさを感じてみたりw
投稿: あまつ | 2009年4月 5日 (日) 23時54分